本来、これはありえない会話。
夢か現かも分からない、奇妙な空間。
取り乱してもおかしくない状況で、しかし俺は変に落ち着いていた。
背中越しに投げられる質問の応酬。
それに答えていく内に、ようやくここが家のリビングだと気が付いた。
先輩は死ぬのが怖いと思ったことはありますかぃ?
――いいや、一度もない。
ずっと生きていたいとは?
――嫌だね。
じゃあ、もしそんな人がいるとしたらどうですかぃ?
――死ぬのが怖いから、ずっと生きていたいと思っている人が?
はぃ、好きな人と永遠に暮らしたい。ずっと一緒に在りたいって人。
――関わらないようにするだろ、そりゃ。
あ、やっぱりですかぃ?
――俺とは合わないだろうし、それに……
それに?
――そんな奴が、カニバリズムに目覚めたり、無理心中とかしたりするのかもな。
一つになるぅとか、ずっと一緒ぉとか。実際にするならそんなとこですよねぇ?
――ああ、そんな奴と関わりたくないだろ。それこそ怖すぎる。
ですよねぇ? でも先輩、わたしはですねぇ……。
――ああ、うん。ご愁傷様、運が無かったな。
そうなんですよぅ。本当に災難でしたよぅ。
――そうだな、可哀想だね、はい残念、さっさと帰れよ、鬱陶しい。
いや、ちょ、なんで追いだすんですかぁ!? まだ本題に入ってないですよぅ!?
――うっさい。お前もさっき言った奴と同類だ、関わらないほうが自分のため!
だからって、そんな首根っこ掴まなくても……て、え!? 何するんですかぃ!?
――お前が行かないんだから、しゃあないだろ。
行きます、帰ります、出ますから、そんな、ちょぉ!? 振りかぶらないでぇぇ!?
――行かんでいい、帰らんでいい、出ないでいい! ちゃんと外に出してやるからな!
あーーーれーーー、先輩の人でなしぃぃ!
――アホ、お前の方こそ……って、ん? そういえば、名前なんだっけ?
あれぇ、最初に言いませんでしたっけ?
――聞いてない。って、あー。やっぱいいわ、言わんでいいよ聞きたくない。
そんな耳を塞がなくてもいいじゃないですかぁ、可愛い後輩ですよぅ?
――んなもん知らん! 俺は逃げる!
藍原蘭……先輩は本当に上手くやりましたよぅ、そこはわたしも感心してます。
だから、別にわたしを知ったところで大丈夫。
さっき言った物騒な人と関わることなんてないと思いますよぅ……たぶん。
――いやだ! 最後の一言が不吉すぎるわ!
ああ、だけど駄目。
いつの間にか俺の眼前には女が――
腕を取り、壁に押し付け、耳に口を寄せて――ああ、なんで振り解けない。
腕が軋む、肺が苦しい、足が震えて――ああ、ああ、なんでこの身体は動かない。
「わたしは■■■ですよぅ」
ぷつり、と不意に何かが断ち切れた。
それは緊張だったり、平常心だったりするもので。
意識が途切れるその刹那、少女はもう一言だけ俺に――
「ところで先輩、死相が見えてますよぅ?」
言って、彼女は口を歪めて――
――2008年9月1日――
朝起きて、夢と似通った台詞を吐かれたら、そりゃあ驚愕もするだろう。
「先輩、可愛いな。ほら、もっとこっちに寄れよ……」
「うわーーーーーー、でたーーーーーー!」
ボカスカと一方的に殴りつけて、ベッドから落とす。
「いや、先輩!? ちょっとまて!」
「問答無用! いてもうたるぞ、こらーーー!」
「うおーーー! 先輩が狂乱してるーーー!?」
ポカポカと一方的に蹴りつける。
「ちょっと待て! 話せば分かる!」
「分かるか変態。お前、何の恨みがあって不吉なこと言うんじゃボケーーー!」
え? なに? 言ってない? 知るか、そんなこと!
「落ち着けーーー!?」
「お前なんて、こうだ! この! この!」
顔面を素足で踏みつけようとし、女はそれを寸でのところで掴む。
掴んで……舐めた、ねちっこく、ベロリと。
「う……うぅぅぅあぁぁぁぁ!? ふしゃーーー! ふしゃーーー!」
飛び上がり、ベッドの上から威嚇したところで、ようやく状況を把握した。
「ん? お前、斎藤んとこの妹か」
「佳奈美だ。斎藤佳奈美」
ああ、そうだ。ミリオタ兄妹の片割れだったな。
「で、なんだって俺ん家にって、ああ、そうか昨日は――」
宿題が終わってないとかで、こいつと成元が泣きついて来て。
しょうがない、見てやるとか言ってしまったのが運のつきで。
全く終わってないし、終わらせる気がないとも思えたこいつらの、宿題を何とか形にしたのが本日未明。
終電はもう行ったし、部屋は空いてるからリビングで寝てろと俺は言って。
俺自身、疲弊しきっていたからベッドに倒れ込んで――――
「それで、何でお前は勝手に入ってきてるわけ?」
「先輩、それが、その……」
ボーイッシュな彼女が、もじもじする姿に、不覚にもときめいてしまう。
うん、がんばれ、もう喉元まで出てるんだろ?
その言葉、受け止めてやるから吐きだせと、つい応援してしまう。
「里居先輩にもらったコレを、使ってみたかったんだ」
…………あ、さすがの俺もそれはヒクわ。
具体的に、カサカサと後ろに手をやって、完全ガード。
「おま、おま、おまままままままま――――!?」
「ふふふ……どうだろうな、先輩」
「ななななにが!? いや、言うな寄るな近づくな。
そのウィンウィン鳴ってるそれを俺に向けんな、卑猥すぎるだろうがーーー!」
叫びながら、じゃれつく俺達。
空いている扉の向こうには、ハンカチ噛んでる後輩が一人。
こんな朝っぱらから何やってんだよ、と嘆息しかけて――
「ちょっと待て、斎藤。今、何時だよ?」
「ん? ああ、そういえばって……何だ、十二時か」
そうか、十二時か。
道理で太陽が高いなと思ったよ。
「……学校は始業式だけだよな?」
「さすが先輩、その通りだ。もう終わってるころだな」
「まあ宿題は最初の授業で提出ですし、大丈夫ですよ」
そりゃ良かった。
窓に変態が張り付いてて、こっちを睨みつけてるけどまあいいや。
今日は家でゆっくり過ごそう。
「昼飯作ってやるよ、食ったら帰れよ?
今日はずっとフトマネするって決めたから」
「また変な略し方しますね……」
「まあ良いぞ、先輩。早く作ってくれ」
「偉そうに言うな……作らんぞ?」
なんて脅したら、跪き足の指を舐めてきたから再度飛び上がって。
極端なんだよと、逃げるように台所へ直行。
不法侵入してきた里居にセクハラされつつ、昼飯作って食ってゲームして。
若い選手を育てて高く売るのに快感を覚えていた、その時。
そういえばと思いだした。
始業式と言えば、生徒会は何をしてたんだろう。
ああ、ああ、明日はきっと怒られるんだろうなと。
まあ実際、俺の予想は的中。
ウメボシくらって罵倒されて。
激昂してはまたウメボシくらって。
なにはともあれ、いつも通り。
それなりに退屈しない新学期が始まったんだ。