――2008年5月20日――
何だかんだで、決勝戦。
ここまで危なげなく勝ち進んできた両チームの原動力……すなわち里居と俺。
正真正銘の一騎打ちとなるのは明々白々だろう。だから――
「予想はしていたんだけどな」
先攻の相手チーム。一番からいきなり最強の敵、里居美恵。
「――――――」
俺を見据えるその瞳は、柄にもなく激情に燃えているようで――
紛れもない、真剣勝負を伝えるもの。
球審がやる気なさげに試合開始を宣言する。
それとは対照的にバッターボックスの熱量は、既に臨界を超えてホームベースが霞んで見えるほどに高まっていく。
「――――ッハ」
思わず、苦笑が漏れてくる。
本気か? 本気だな? マジかよ、良いぞ、面白い――打ってみろよ、てめェ!
初球――知らず溢れる激情に身を焼かれながら、最終戦の幕が盛大に上がった。
「――――」
里居の表情に、微かながら動揺が走る。
俺の投じた一球目は――真っすぐ、一直線に、脅威の球威と究極の制球を重ねて――
里居美恵の、顔面へと放たれた。
「……ごめん、手が滑った」
飛んでくる盛大な罵倒と、バッターボックスからは射殺してくるような視線。
わざとじゃないから許してくれなんて、苦笑交じりに言いながらの二球目はやや外角寄りの速球。
――瞬間、背筋が凍りついた。
「う、あぁぁぁ!?」
“着弾”したのは金属バット。
脅威の威力と究極の技術を重ねて、俺の右膝を掠めてグラウンドへ――
舞い上がる粉塵と恐怖。咄嗟に身を捻らなければ、右膝にあのバットが……
「――ごめん、手が滑った」
「で、片付くと思うなよ、馬鹿力! おま、マジで死ぬぞ、これ!!」
バットを軽く投げ返すと、里居の素振りを一つ。
それで、視界を覆っていた土煙が霧散した。
「あー、もういいや」
突っ込まずに、三球目は内角高目。
かなりボール気味だったが、委細構わず里居はフルスイングし、空振り。
したと安堵した瞬間――目の前には白球があった。
「ちょっ!」
自衛本能を最大限に働かせての運任せが奏功し――里居の空振りによる風圧で飛んできた白球は、グラブに収まる。
「…………………」
「――――――」
「…………」
「――――」
静寂。
「取ったどーーーー!」
結論、適当に言ってりゃえぇがな。
二番の健太、三番のミリオタを内野ゴロに抑える。
「っしゃい、こらー!」
ベンチに返ると、もうハイテンション。
その勢い余って、右拳を思いっきりベンチに叩きつける。
「いたひ」
……赤くなってる。しばらく引かないぞ、これは。
とはいえ、気分は乗っている。意気揚々とバッターボックスへ――
行こうとした、その時。
「ねえ、なんか作戦考えてるの?」
耳打ちしてくる宮野に微笑みを返し、まあ見てろよと打席へ向かう。
「っし、こいや!」
気合いを入れて、初球を待つ。
「――――!」
放たれる白球。耳を聾する轟音は、大気を切り裂く音なんだろう。
唸りを上げてミットへ一直線。
そう。
終着点はキャッチャーミットだ……たぶん。
つまり、宮野のリリースとミットの線上を白球は通過する。
その軌道にバットを乗せれば――――
打てる、かもしれない。
つまり、タイガーショットを撃ち返す理論だ。
分かってても捉えられないその軌道、しかし俺なら――俺ならば視認し得る。
頭に描いた線上を、微かに奔る雷光。
打ち返すべく、振ったバット。
結果、独楽のように体が回転してワンストライク。
「いや大変だ、こりゃ」
そんなんで打てるんなら、他の奴がもう打ってるだろ、俺の馬鹿。
そもそもあいつ、俺が相手だからって本気で投げてやがる。あんなん、審判も視認できないだろ……。
「まあいいよ、次は打てる」
「――そう」
ならやってみろと、二球目――インコース。
構えたミットに確実に収まるその制球力は凄まじい。そして、視認できない速度もまた凄いから――
「っづうぅぅぅゥゥ――ッ!」
「――え?」
派手に転がり、右手を押さえる。
「――蘭、なにやって……」
「てめぇ、里居! なに投手の利き手に当ててんだよ、ノーコン!
なあ、これ見てくれよ。掠っただけでこんなんなってんだぜ?」
里居に何も言わせず、そのまま審判に赤くなった右手を見せる。
死球宣告。
「ったく、まあ男だし我慢するけどさ」
悠々と歩いて一塁を陥れるが、ベンチからは非難の声。
「……なんだよ? 文句あんのかおまえら」
「いやぁ、だって藍原。今のはちょっと……」
「汚い、さすが藍原、汚い」
意外にも、ガリ勉のくせに正々堂々な連中だ。
うっさい黙ってろ、そこまで言うなら打ってみろ。そう言い返すと、皆一様にベンチへ拳を叩きつけるのだった。
うん、素直な奴は大好きだ。
「って、打てるかこんなのーー!」
絶叫するチームメイトの打者。
なんとか見えるレベルにまで速度を落とし、それでも異常に速い直球を武器に里居は後続を連続三振に。
俺は二盗三盗を成功させ、挙句の果てには本塁にまで突っ込むが、あえなく撃沈。
というか、リードも駄目だし本盗はさすがに無茶すぎたか。
そして、その後は示し合わせたように両チームの打者が全員三振。
四回表、最終回。里居がこの日最後になるであろうバッターボックスに立っていた。
「……で、あの子をどうやって抑えるの?」
「とりあえず、あいつが本気で振ったらスイングの風だけでボールが飛ぶ。これじゃあバットに当たるわけがない。そして、その打球(?)はホームランにはならない」
「うんうん、それで?」
「だから、次はきっと手加減してくるはずだ。だからそこを抑える」
「どうやって?」
「まあ、なんとかする」
「そう……まあ彼女を抑えたら勝ちも見えてくる。ガンバろう!」
バシンと胸を小突いて、宮野はキャッチャーマスクを被る。
勝ちも見えてくる、とは言ったが……
「結局、ただの球技大会なんだけどな」
てりゃ、と投じたのはストレート。
内角、ボール気味だったが里居は委細構わずスイング。
「――ズレた」
言って、大ファールを気にせず構える里居。
「舐めてんじゃ、ねぇッ!」
そのスカした面を変えてやると放った二球目は外角高めのライズボール。
「――――ッ!」
完全なボール球だったが、それでもボールの下を捉えるはずだったバットは、しかし里居が軌道変えて空振りに。
「あぶな、今のは通天閣並みに上がりそうな雰囲気だったな」
「――そうなったら、まずファール。最悪、取られる危険もあった」
「ああ――――そうかもなァッ!」
そして投じる三球目。遊び球なしの三球勝負。
内角高目へ伸びる白球の軌道、しかしその前に塞がる里居のバット。
ジャストミートする、最悪の光景を刹那の後に待ち受けて……
「――――――ッ!?」
そして、三球三振の現実へと引き戻される。
里居のバットは空を切り、ボールは宮野のミットへ収まった。
さあ、そして今、この時に活躍するのが主役の役割ってもんだろう。
「っし、こいや!」
一打席目と全く同じことを口にして、構える。
バットを短く持ち、浅く構えて振りをコンパクトに。
さっきので、スピードには慣れた。
空間を過ぎる白光の軌跡。先の打席のことがあるからか、速度はそのまま、しかしコースは外角。
ベースを通過する一点に集中し、バットを振れば――
「――――ッ!」
鈍い音。痺れる指。
しかし、それは紛れもなくバットに当たったということで……
「ファールか。やっぱこれだとダウンスイングになるもんな」
擦っただけの当たりだが、ファール。
僅かに軌道を変えたボールが、バックネットを突き破る。
そして二球目――次は内角。
「んのぉッ!」
今度は真芯。身体がボールに押されてよろめくが、バットが球威に押されて弾き飛ばされるが、ボールは一塁側へ転々と転がって、ファール。
バットを変えて三球目――また内角。今度はボール球。
とはいえ審判にそんなのは見えない、ゆえに俺はグリップエンドに当ててカットする。
四球目、今度は外角を完全に捉える。速度は頭打ち状態なのは明白だ。
バットを変えて五球目に臨む。
「ギ、イィィッ――!」
感覚が無い指でカット、俺の目は完全に里居の速球を捉えている。
今のはタイミングが合わなかったが、次でケリを着けてやる。
だいたい、球技大会だろうがなんだろうが、俺に勝とうなんて調子に乗ってんじゃねぇぞ――
「こんの、ヤロ――――ッ!」
またファール。ほぼジャストミートといって良いタイミング。
打球は、遂に外野まで飛んでいた。
「この馬鹿娘、いい加減に――」
「しつこいよ、いい加減に――」
そして放たれる七球目は――遅い。
どこかで、全く同じことがあったよなと回想する暇さえある、つまりそれは――
「「――諦めろ!」」
結末には至らないだろうと、予想できた。
外角低目。辛うじてカットして次の八球目――八球目は――
「――――――」
……スローボール。
完全に外されたタイミングは戻らず、やっとこの試合が終わりを告げる。
「バカっつったろ」
気持ち悪いけど、おまえの考えることは、だいたい分かる。
だから、速球に対抗した。俺が真に賭ける一打は、このスローボールしかないから。
なんでカットしたか。
なんでファールにしてやったか。
ヒットじゃ駄目ならホームラン。
しかし、俺におまえの速球は飛ばせない。
ゆえに、これしかないと粘りに粘った八球目。
「――――ッ、このぉッ!」
会心の一撃は右中間へ。
大きく超えるが、しかしホームランにはならず、仮設ネットへ直撃する。
「――――ッ、アタシに回せェ!」
中継に入った里居が、ライトからの返球を受け取ってバックホーム。
バカ、また暴走かよ藍原とまれ――うるさい声など耳に入らない。
ただ、三塁を回り、足がもつれかけながら突入する俺の背中を――
「突っ込めよ、センパイ。あたしん時はそれでいけただろ」
押したのは、誰の声だったんだろう。
「――――ッ、ギィッ」
だから黙れ、この馬鹿野郎ども。
お前らに言われんでも、行ってやるさ舐めんじゃねぇよ。
最後の数メートルを全速力で駆ける。
足からのスライディング。
測ったように里居の返球がミットに収まる。
そして急造捕手の捕球に合わせて、俺は――――
「ていっ」
間抜けな声とともに、ミットを蹴ってホームイン。
微妙な判定かもしれないが、俺が守備妨害を取られることはなく――
サヨナラ勝ちが宣告され、里居美恵は心底悔しそうに、目元を涙で濡らしながら、一言。
「――マリーシア嫌いなのに、自分がするのは良いんだ」
ポツリと、漏らしていたのは負け惜しみ百パーセント。
俺が聞きたくて聞きたくて仕方がなかった負け犬の泣き声だった。