――2008年6月30日――
曇天、雨が降りそうな天気ゆえに、本来ならば早く帰った方が良いのだろうけど。
まー、傘も持って来ているし別に心配いらねーよと、昨日――厳密にいえば今日――の熱狂をそのままに、俺は生徒会室で録画映像を見ていた。
「トーレスが最後で大仕事か……でも、ビジャも決勝で見たかったな」
しかし、ラームがトーレスとマンツーになったら駄目だろ。
「ホントに無敵艦隊になったんか、凄いよなー。ファック」
これだからユーロは面白いなんて、にわかサッカーファンとしての感想を脳内で垂れ流していたら、背後から菓子を食べる音とともに、宮野が一言。
「というか、よく聞く話だけど、ウインガーってなに?」
「100メートル5秒台のやつ。つまり、翼を持ったように速い選手。最近になって流行り出した表現」
「トップ下っていうのは?」
「そのチームで二番目に上手い選手。差別発言になるから、今はあんま使われない」
「4−1−4−1とかは?」
「サポーターに聞いたオッズだよ。左がホーム側で、勝ち:引き分け:負け:没収試合。
国とかチームによっては、没収試合がなくて、勝:分:負の時もある」
「そっかー、でもドイツもスペインも勝ちと思う人は四割なんだ」
「欧州の人は、そのあたりを客観的に見れるんだよ」
「……の割には、負けた時の悲観っぷりが凄いね」
「――だろ? 面白いよな、欧州の人って」
と、そこで闖入者が出現するや、すぐさまテレビのスイッチを切りやがる。
傲岸不敵、傍若無人、生意気にも程があると言いたくなる。
ちくしょう、おまえ。そんなにレーマンの失点シーンを見たくないのか。
「そういやおまえ、アーセナルが好きなんだっけ?」
「だから何だよ、アンチフットボール野郎」
「いや、リヴァプールも好きだけだぞ? ……バルサよりはマドリーだけど」
セスクを応援しようって気はなかったのかよ、10番だぞ? とか。
そもそもレーマンはブンデス行ったんじゃないの? とか。
糾弾しようとしたが、宮野が何かに気付いたように――
「あれ?」
なんて、可愛らしい声を上げたもんだから、頭から消えてしまった。
と同時、目から鱗が落ちたかのような声に、俺と春ポンは次の言葉に対する反応が遅れてしまった。
「たしか、リヴァプールってイングランドの地名だったよね? ビートルズのとこ」
その、一言は――
「…………」
「――――」
地名とかそういう問題である以上に、致命だった。
「あれ? なに? 二人揃って、身悶えしないでよ……」
「ぐぉぉぉぉぉぉぉぉ」
「ぎぃぃぃぃぃぃぃぃ」
そう、俺たちは出会う前からその事に気付いていた。
気付きながらも、暗黙の了解でスルーしたんだ。
「だって、しょうがないだろ!」
「な、なにが……?」
俺の気迫に、さすがの宮野も一歩たじろぐ。
「あんな衝撃は日韓準々決のイタリア戦以来だぞ、この野郎!」
そしてなにより――あの時と違って今回は、憎むべき相手がいない。
「ジェラードが……ジェラードが、まさか代表ではあんなに補正かかるなんて知らなかったんだ!」
クリロナ並みの補正だったぞ。――というか、なんでイングランドはEUROで勝てないんだよ……。
だからダイバーは嫌いなんだ! プレミアの肉弾戦に構ってたら怪我すんのは分かるけどさ!
「センパイ……まだW杯の予選があるだろ」
「アンドラとベラルーシってどこだよ!? そんなトコとやって勝っても嬉しくないわ!
つーか、まともな敵はウクライナくらいじゃねーか!」
「た、たしかに。ウクライナには負けそうだ」
具体的に言うと0−1くらいで、来年あたり。
「じゃあ、日本はどうだと思う?」
「そろそろ、俊輔を呼ばなくても良いんじゃないかと思ってる」
もう、全盛期のスルーパスが出てこないだろ、あの人。
たしかに、キープして中盤でタメを作るのも良いけどさ……。
「いや、それは……どうよ? ポゼッション的に」
「日本をバルサと一緒に考えるな! 人数かけてチンタラ攻めても無理だろうが!」
「だったら誰を呼ぶんだよ、小笠原か?」
「香川を呼んでくれ、あとカズも! 両本田と柏木と山田直と大津、宇佐美も呼んどけ!」
「いや……アンタ、気持ちはすでにブラジルだな、というか中盤ばっかだし」
だって、久保並みのFWもいないし。守備は相変わらずのお二方だし。
「だけどアタシさ。FWは誰かが覚醒すると思うよ?」
「誰だよ。大迫、指宿、巻、平山、都倉の中から選べ」
「ゆ……ゆびじゅく?」
「イブスキだ、そう言ったろ、バカチン」
「だって……字で見たら分かんねーんだもん」
――いや、まあ、確かに。そんなのはゴロゴロある。
正直、平城山をならやまと呼ぶのには無理がある。あと、放出も読めねーよ。
「つかセンパイ、アンタさ……背が低いの気にしてるだろ?」
ウッサイ、このボーイッシュガールめ。
「それに巻はいくらなんでも……ほら、岡崎とかどうよ。アタシは好きだよ?」
「ははは――アホ言うなよ、春ポン。速くてデカくてウマい奴じゃないと、俺は認めない」
一応、予防線。これが2008年当時の考え方だ。
二年後はどうだとか、そんなのは知らない。
「だいたい、あの顔からしてもう若くないだろ、アイツ」
「いやいや、北京五輪世代だったろ」
んなアホな、あんな老けたワカゾーがいてたまるか。
もっかい見てみろ、ケンゴの方がまだ若そうだろ。
「でもアタシ、カウンターって嫌いだな。やっぱ華麗なパスサッカーが見たい」
……それはごもっともだが、俺の考えは違った。
「鹿島が何でガンバに勝てるのか――そこんとこをよ〜く考えてから出直してこい」
今の時代はショートカウンターだろうが。
ボール持ってるのが好きならラグビーでもしてろ。
「でも、日本代表にはマルキいないじゃん」
「帰化させろ」
「メチャクチャだな、アンタ!」
そんなに無茶か? いや、そうなんだろうけど。
「で、ワールドカップも近いからサッカーネタなのか?」
…………。
「お、おう。この為に温存してたんだよな、春ポン?」
「ウソつけ」
「な、何のことやら……」
わたしゃあ分かりませんな、ゲヘヘと両手を挙げてアピール。
「2009年10月30日……何の日か知ってるか? センパイ」
「――――――」
わたしゃあ知りませんな、アハハと頭を掻いて知らんぷり。
「もうすぐ、ワールドカップだよな」
「…………」
俺は、ムンタリさんを信じる会の一員だからな!
頼むから、あまり変なことはしないでくれ。ロッカールームでパスタ喰うとかな!
「拍手のコメントなかったら、ワールドカップ終わってたかもな」
「いや、その……」
ほんと、ありがとうございました。
「というか、UCLがいつの間にかファイナルなんだよな。
アーセナル負けたけど面白かったよな……セスクは移籍しないで、お願い!
あと、アルシャビン大先生はあんま調子に乗らないほうが良い。ベントナーは……何でこの時期に覚醒すんだよ」
「おぉ、まるで小出しにしようと思っていた会話を一気に吐き出すようでいて、脈略のないクソ意味不明な負け犬の遠吠えだな。お疲れ様」
ボールポゼッションでは勝っていた(キリッ
「俺はもう腹を抱えて笑ってたぞ、あのザル守備」
内容では勝利してもおかしくはなかった(キリッ
「これだからポゼッションサッカー(笑)の倒壊は面白い」
みなさん、たとえ1stレグで二点差つけて勝って、アフェイの怪しい判定で十人になったとしても攻め続けましょう。
アンチフットボール行為は止めましょう。
フットボールがつまらなくなるそうです。
喜んでるトコにスプリンクラー発動されますから。
いや、まあ十一人の時から守る気マンマンだったけど。
「とか言ってる割にはアンタ、CSKAとの試合では本田圭佑を応援してたよな」
「そりゃそうだろ、いくらインテルでもこればっかりはな……」
決勝ラウンドに日本人が主力で出場するなんて……次は何年後だろうな。
「Jリーグも面白いから、いい感じの一年になりそうだな、来年は」
「センパイ……来年って言ったの二度目だけど、今の“来年”は西暦で言うと何年のことを言ってるんだ?」
…………。
「“来年”は“来年”だ」
「それって、ワールドカップ? それともアジアカップと南米選手権?」
「馬鹿だな、春ポン。それはまだ言うべきことじゃない」
もっと俺たちにとって都合が良い頃合いがあるだろ。
「具体的に言うと、結果論で何かを言えるって良いよなっ!」
「アンタ最低だなぁ、オイ!」
二学年も下の女子に罵られる俺……いや、駄目だ。何かドキドキしてきた。
って、んなわけないだろ。アホか、俺は。
「おお、だから何だ。地震が来た後に動物が吼えてましたどうたらこうたらでっち上げるのは良いことだろ」
「いや、悪いでしょ」
うっさい、宮野。
「じゃあ、ファイナルについては何も言わないんだよな? センパイは」
「おお、フットボリスタを読んでからにするわ」
未来なんて分かりゃしないんだから、先のことなんて考えない。
今を、この瞬間を誰よりも敏感に感じ、味わい、咀嚼する。
そもそも、言って外れたら恥ずかしいじゃないか。
「だけどまあ、これだけは言える」
「ん、なんだよ?」
と、口にしようとしたモノを再びしまい込む。
あー……いいや、言葉にするのはやっぱりハズイ。
窓の外を見ながら、一言。
「雨、降ってきたな。宮野に春ポンは傘、持って来てる?」
「いや、あたしはないんだよなー。宮野センパイは?」
「あちゃ、私もないんだよね」
「……俺もない」
折り畳み傘くらい常備してそうで、してなかったりするのである。女の子達は。
「あ、あそこにある傘を使っちゃおっか。明日、戻しとけば良いでしょ」
と、宮野が部屋の隅に置いてあるビニール傘を示す。
「うし。じゃー、三人一緒に入ろうや」
「「え、嫌だ」」
……あ、少し泣きそう。
「いーもん、喜美恵さんに乗っけてもらうもん。ふんだ、もう知らないもん」
「ガキかよ、アンタ」
「うっさい、ほらさっさと行きやがれ」
言われなくても、なんて捨て台詞とともに二人は仲良く帰路に着く。
元来、真面目気質の二人だから気が合うのかもしれない。
「さて……」
生徒会室の戸締りを終え、一向に止む気配のない雨に辟易すると――
「帰るか」
嘆息一つ。傘がないから濡れるしかない。
だけど、俺はその事実にある種の自己満足を覚え――
「アホか、俺は」
自嘲一つ。雨の中に踏み出した。