――2008年5月20日――
一回戦も終盤、四回裏。
ここまでのスコアは1−0であり、もちろん勝っている。「さて……ラスト、頑張るか」
「藍原君? あの三番の子、もの凄い睨んでるだけど……」ああ、春ポンか。
「あんなの、ほっとこうぜ」
「もしかして、何か怪しいことしたんじゃないでしょーね?」…………す、するどい。
「し、ししし、しておまはんがな!」
「――――――」宮野は、あの時の啖呵を聞いていない。けっこう、大きい声だったのにな……ともあれ、俺にとっては良いことだけど。
と、捕手は溜息を一つ。「別にいいけどね。ま、一番と三番の子には気をつけましょうか」
「おう、ついでに四番もな」ここまで、俺はノーヒットピッチング。一巡目で俺の――自分で言うのは悲しいが――遅い球を打つのは容易くないだろう。
向こうさんは、守備練習も兼ねた内野ゴロを連発してくれている。
「さて」
トップバッターの陸上部、十三命を迎えた俺は、一球目からストライクが入らない。
「っかしーなー、ロージンないからかなー?」
なんて笑いながら言いつつ、フォアボール。
宮野の叱咤激励を浴びるが、次の打者にも四球を献上してしまう。「ちょっと、藍原君。ヤバイよ、これ」
「ん〜? そうか〜?」「だって、ほら、次は……」
宮野の視線の先には、俺を睨みつけながらボックスに入る――
「春ポンか。何だよ、安パイじゃねーか」
「はぁ……とにかく、四球には気をつけるように」言って、戻っていく宮野を見届けて、俺はゆっくりと投球動作に入る。そうして、一球目。まずは外角低目(っぽいどこか)へと目掛けて――
「うぁッ!?」
……暴投。
ランナーは進塁し、無死二、三塁。「逆転のチャンスだなー、春ポン」
「あぁ!?」聞こえなかったのか、イライラしているのか、不機嫌そうに聞き返してくる春ポン。
もう一度――しかし、今度は口パクで言ってやる。「だから、何だってんだよ!」
と、意識を切らしてくれた隙にクイックで投げ、ストライクを取る。
しかし、本当に口が悪い女子だな、あいつ。「――にゃろう」
二球目は、低目へのスローボール……というかストレート。ワンバウンドするが、宮野は難なく取ってくれた。
これで、カウントは1−2。「―――ッ!」
気合いを入れて、この試合中、最速になるかもしれないストレートを高目に投げる。意表をつかれたのか、春ポンは前の打席を繰り返したような空振り。
「こすい奴だな……」
「うっせー、雑魚」罵りながら、四球目。放ったボールは、外角高目ギリギリへ奇跡的なコントロールで向かう。
「……げ」
外角を読んでいたのか、それとも見てから対応したのか、左足を大きく踏み込んでそれに合わせてくる。先のより遅いボールを、完全に捉えられた。
バットの真芯に当たり、逆転の一打を確信した春ポンは心中で小躍りしてるだろうが――「……うわたッ!?」
「はい、どーも」結果は上っ面を叩いたピーゴロ。
「さて、残りのクズはさっさと打ち取るか」
そうして、有言実行。
残りカスを内野ゴロで抑え、俺達の勝利。「ちょっと冷や冷やしたけど何とかなったわね」
「だな」ゆっくり近づきながら右手を上げる宮野結衣。
俺も、それにハイタッチで応えて――「とでも言うと思ったか、このアホーー!」
「うあ――――!?」突如、握りしめた拳で脳天を強打される。
そして、それは終わらない。「まて、うぇい! うぇいとー」
「アンタはホンマに何を勝手な事しとんじゃバカーー!」「すんません! マジ、ごめんさい……許して?」
目を涙で潤ませてお願いする。その涙は嘘泣きなのだと、信じていただきたい。
断じて、女子の拳骨が痛くて……なんて貧弱な理由じゃない、ホントデスヨ?「許すか、ボケェーーーー!」
お、鬼か、こいつ。
「タンマタンマーー!」
俺たちを無視して、整列はいつの間にか終わっている。
早く次の試合に移行しないと支障が出るだろ、なんて正論は、しかし今の宮野に通じない。拳骨からウメボシに代わり、眉間が激痛でかなりヤバくなった――その時。「あぶなーーーーい!」
遠くから響く、その声を聞いた俺たちは振り返って、驚愕する。
「――のわぁッ!?」
咄嗟に飛び退いたのが奏功し、そのボールを回避する。だがしかし――
「ねえ藍原君……反対側からここまで、何メートルあるか知ってる?」
「……ちょっと待ってろ」この学校では、三学期のランニングで外周を走る。その時、一周一キロ弱だと聞いた。
あくまで外周だから判別できないが、それでも、長方形のこの学校。その長い一辺とほとんど等しい長さを持ってるんだ。この運動場、横幅250メートルくらいは悠にあるだろう。そして、さらに斜めにきたと言うことは……ああ、もういいや。
「200メートル以上は確実に飛ばしてるな、アイツ」
項垂れて、膝をつく投手――成元幸代。
可哀想にも人外馬鹿と一回戦だったのか……。バッターボックスには、フォロースル―を終えた里居美恵。
最大の壁を前にして、俺は未だに乗り越える手がかりを見出せてはいなかった。