――2008年5月20日――
午前九時。この時点で、五月とは思えない熱気が運動場を包みこんでいた。
「さて、そんじゃあ俺たちが先行で」
「はい」
SHRの後、運動場に集合して準備体操を行い、一回戦。
相手クラス、一年二組のキャプテンにジャンケンで勝利し、先行を告げる。
「うし、んじゃあ守備練すっから集まれ――!!」
クラスメイツを集め、ノックとボール回し。
軽く、ファーストからポジション順に打球を打っていく――が、
「おゎ……」
――トンネル。
「わたたっ」
――ファンブル。
「うおッ!!」
――暴投。
「…………」
「これ、一年生にも負けるんじゃない?」
無言で、捕手の宮野にフライを上げる。
視界には、俺たちを嘲笑ってる一年のガキんちょ共。
強烈に睨みつけた後、俺たちは守備練を終え、一年と交代。
「なあ、藍原。あの一年、上手いか?」
名も無きクラスメイトが、気安く話しかけてくるのに対し、
俺は、そうだな――なんて顎に手をやる。
「あの中堅手と、春ポン。あいつらはそれなりに上手いな。
後は……まあ、トントンじゃないか? 弱くはないが、勝てない相手じゃ無いな」
メンバー表を見て、女子コンビの打順を確認する。
一番と三番か……打順からして、女子というのを抜きにしても上手いのだろう。
なんて思案している時、審判から声がかかった。
「そいじゃ、行ってくる」
呼びかけに応じ、左打席に入って、軽く伸びをしてから投手を見据える
――投手の身長は170そこそこ。ハンドボール部らしいが、投手を任されているくらいだ、野球経験もあるかもしれない。
そうして、初球。とりあえずは様子見。
ボールは打ちごろだったが、見送ってワンストライク。
まあ、次は打てるだろうと、足下を確認して構えた時。
遊撃手から罵声が飛んできた。
「オッケー、あんな女顔の野郎なんか三球三振にしちゃえ!」
「……んだとぉ、おい春ポン! お前、何を言ってやがる!」
なんて、悠長に応えている隙にツーストライク。
ベンチの宮野から、叱咤激励が飛んでくる……いや、呆れているだけか?
「と、まあ遊んだが……次は打つか」
そして、三球目。少し外よりの球を強振する。
「く、のォ――――!!」
遊撃手がジャンプするが届かない。打球は、そのまま左中間へ。
ツーバウンドしたところで、即席のフェンスに当たる。
「ハッハァ――――!! 惜しかったなァ、バーカ」
なんて、ふざけたことを春ポンへ叫びながら、俺は二塁を回る。
見ると、クッションボールは転々とレフト線へ――――僥倖だ。
「よし、藍原。ストップだ!!」
二番打者のクラスメイトが叫ぶ。どうやら中堅手がレフト線まで走って、ボールを取ったらしい。たいそうな張り切りようだが、その点では俺も負けてはいられない。ゆえに――
「誰が止まるか、馬鹿野郎――――!」
ボールは、中継の春ポンに回ってきた所。危ういタイミングだが、気にしない。
「ぁんの、やろぅ――! 舐めんな!」
文面だけなら、どう見ても男にしか思えない口調で、バックホーム。
女子にしては凄い送球。いや、男子でもソフトボールに慣れていない奴ならば無理だろう。しかし、捕手の一年坊主がホームベース手前で捕った時、俺はちょうどスライディングの体勢。
「――楽勝!」
足からのスライディングで捕手の背後を通り、左手でベースに触れる。
――これで、まずは一点。
「藍原、おまえ速ぇなあ――――!」
ベンチに帰り、クラスメイツとハイタッチ。
「ほんと、速いわね。もしかして藍原君、猫科?」
……んなわけあるか。
そして、後の三人はいずれも凡退。予想通りだが、まあしょうがない。
見ると、相手チームの守備はかなり良い。内野ゴロの処理を確実にしてくる。
「まあ、一点あれば充分だけどな……」
なんて、宮野からの返球を受け取りつつ呟く。
先頭打者を打席へ入るように促すと、守備位置を確認する。
「んじゃあ、テキトーに打たせていくぞー」
一番打者は中堅手の女子……聞けば、陸上部期待の星らしい。
ならば、と初球はセーフティバントを警戒し、低めのボール球。
右打者で、しかもソフトボールならばセーフティ狙うやつはいないのだろうか……バントの構えも見せず、一年女子は見送り――――そこで一言。
「……おそッ!」
「うっせぇ! お前らくらいに本気出すわけないだろーが」
いや、まあ実際に遅いんだが……。
自嘲しながらの二球目は、やや外よりの絶好球――ちょうど、俺が一打席目に打ったコースだ。
「ッ、のぉ!!」
快音が響き、一瞬だけ敵のベンチが沸くが、結果はセカンドゴロ。
足がある右打者へ内角を投げ、下手に詰まらせてしまったら内野安打になりかねない。
……まあ、当たりは良かったが、所詮は陸上部の女子だ。外角をバットに乗せる技術は無いのだろう。これで安パイが増えたわけだ。
と、まあそんな感じで二番打者はボテボテのファーストゴロ。
三番の女子を手招きして歓迎する。
「ほら、いくぞ春ポン」
「だから、アンタなぁ…………」
わなわなと震えている春ポンへと第一球。
ゆっくりと、山なりの球が低目へ落ちていく。
「ッッ――――しゃぁ!」
――快音。
「…………げ」
レフトへと振り返ると、ちょうど打球がフェンスに直撃していた。
トスバッティング用のネットで作られた、即席フェンスが倒れる。
……確かに大した飛距離だが、結果はファール。
「ちぇ、ボールが遅すぎた」
「はッ、今から言い訳を用意するあたりが負け犬っぽいなぁ!」
二球目は、内角高めへの速球。
ソフトで言うところの、ライズボールではなく、単に速度だけを重視したボール。
「――――――ッ、くぁ!」
スローボールの後の速球には、流石に春ポンも空振りをする。
見送ればボールだったが、つい手が出てしまったのだろう……助かった。
「春ポンよぉ、今のも遅すぎたか?」
そして、打者の表情から余裕が消えた。
「だんまりかよ……まあ良いけどな」
投球動作に入り、腕を回す。
三球目も速球。次は外角……いや、出来れば、外よりにいってほしい。
半ば願うようにリリースしようとした――――瞬間。
「――――――」
こちらを見据える春ポンが、短く息を吐き……踏み込もうとしていた。
タイミングは、ほぼ完璧。どこに投げようが打たれると直感し――
「うぁぁッ!?」
腰に擦り合わせた手首を、ひっくり返す。
逆回転がかかったボールは、一球目よりも遅い。
驚愕の声をそのままに、春ポンは体勢を崩して見送り三振。
「…………次は打つからな」
春ポンはすれ違いざまに呟くと、そのまま守備へとつく。
確かに、アイツの運動神経なら……次は打たれるかもしれない。
「なんてね」
聞こえないように、俺も呟き、ベンチに座る。
さて、二回の裏は四番の宮野から。
「ホームランたのんますよ――!」
なんて、みんなで声を出していた。