見知りの看護師さんに連れられ、その病室まで行く。


「どうも。」


ぺこり、とお辞儀をしてその個室に入る。
……もはや、俺はバイトをしていない身だ。この診察料も馬鹿にならないな。

親にすらこの事を話していないんだ。金は自分で工面するしかない。

人害姉妹には一応、引き留められたが、

あの姉妹が卒業して、あの店に店員でいる以上、バイトの店員など不要だろう。

そんな訳で申し出を丁重に断った。

医師と対面して、自分の胃の様子を表したモノを見る。
・・・・・                   
その様子、4年ほど前と全く同じ状態だった。

 


胃癌

 

 

一般的にはそう云う症状らしい。

成程、しかし俺は知っている。これは、ソレじゃない。

 

「良い加減、これを見るのも飽きてきましたね。」

 

そう言う俺を見て、医師はしかめっ面をする。

 

「しかし、私も初めてだよ。君のような例は。」

 

それは多分―――

 

「転移してない、って事ですか?

 

「そう、それもあるがね…。」

 

一つ、医師は自分のカルテを見てから口を開く。

 

「この状態で、生きているというのが不思議でならない。」

 

「ははッ、確かに。自分でもびっくりですよ。」

 

点滴や注射で栄養を摂取している訳では無い。

かといって―――

 

「藍原君、今朝は何を食べたのだい?

 

「味噌汁、ご飯、豚肉の生姜焼きとキャベツです」

 

「何か問題は?

 

5分後に吐きだしました。」

 

「昼ご飯は?

 

「朝食の味噌汁抜きです。残りもので弁当を作ったので。」

 

「吐いたかい?

 

「はい、3分後に。」

 

俺はここ何年も。食べ物を消化していない。

 

「それで、みんなには何と?

 

「何も。恐らく誰にもバレていません。」

 

ほう、と医師が驚く。

一日三食。そして、友人たちとの間食・飲み物。

全て、吐きだすというのに、この少年は気取られずにいるというのだ。

そして、同時にはあ、と嘆息する。

 

「君が本当に人間なのか、分からなくなるよ。」

 

アハハ、と曖昧に笑う。

正直、その冗談は笑えないにも程がある。

と、云っても―――俺は告げる。

 

「そんなに難しいことじゃありませんよ。

その気になれば、1時間はいけますから。」

 

「どうやって?

 

「吐き気がして、口にまで上がってきたら、飲み込みます。

それは5分毎くらいに起こりますが、我慢します。」

 

我慢は日本男子の美徳でしょう?と続ける。

 

「それは―――」

 

それは、まるで拷問だね。

 

「そうかもしれませんね。」

 

アレはとても、不味いから―――と。

 

 

 

 

 

―――ガタン、ゴトン。

 

 

 

診察を終えて、俺は帰路についた。

3月の終わりとはいえ、6時になると空は暗くなっていた。

 

 

 

―――ガタン、ゴトン

 

 

 

電車に揺られながら、ぼんやりと考える。

 

「病院行くの、止めようかな。」

 

思わず、口にする独り言。

どうせ行ったって変わりはしない。むしろ、金が足りなくなっていく。

はあ、と溜め息。なあ、お前はどう思う?

 

「美恵、どう思う?

 

「―――行った方が、良いと思う。」

 

少なくても、医師の診断書があれば出席云々は問われないから、と。

 

「む。別に出席しなくても欠点取らない程度には頭悪くないぞ?

 

―――当然だ。

教科書の内容なんて、既に把握している。

ケアレ=スミス(1990-)以外には間違いは無い。

尤も、それがかなり多いのに困っているのだが。

 

「―――分かってる。でも、早退が多かったら、お母さんに告げ口されるから。」

 

病院に行くのなら、その心配は無い。

まあ、担任が喜美恵さんなら、

家庭訪問でもその辺りの話題を避けてくれるから良いのだが……

 

 

 

―――ガタン、ゴトン

 

 

 

目的駅に着く。

俺は里居と一緒に改札口を通り、自宅方向へと歩を進める。

 

「―――蘭。」

 

ぐい、と強い力で袖を引かれる。

 

「―――ぅぁ。」

 

それは、不意打ち。足下が少しふらつく。

 

「―――こっち。」

 

引かれる方向は、商店街。

少し前までは寂れていたそこも、今ではかつての賑わいを取り戻している。

―――いや、それは商店街だけではなく、この町が、だ。

少し、それについて補足しておく。

 

 

 

―――数年前、俺が中学生だった頃のお話。

この町は、とんでもない地獄だった。

殺人・強盗・集団自殺……ともかく、大半の人は狂っていた。

それは普通の人間の感覚だったわけで―――

その狂人から見れば、彼らは普通。

当たり前のように、殺し合う。

食べ物が欲しいから、食らい合うし奪いもする。

まあ、その辺りのいざこざが片付いたのが、中31月くらい。

 

この町に住みたいなんて人はいなくなったし、

この町に留まりたいなんて人もいなくなった。

 

とはいえ、土地が暴落していけばそこへ集まるのが人の性。

なまじ、交通の便が良いだけに嫌々ながらも住む人。

土地が安いから、と住む人。他に行く場所もないから、と住む人。

 

色んな人間の色んな事情で、兎にも角にも町は活気を取り戻した。

かつては西日本有数の観光地だったその町は、

ベッドタウンだったその町は、

デッドタウンだったその町は、

 

今では、普通。

ニュースにもなりはしない、ありきたりな町になった。

観光客は激減し、町の財政は厳しいが、

それでも町は活気を取り戻していた。

 

 

 

「―――蘭。これ、どう?

 

「ん?あぁ、良いと思う。」

 

見ると、里居は不機嫌そうに目を細めた。

―――ならば次は。と、服を漁っている。

 

「―――これ。」

 

取りだしたのは、黒いジーンズ。

確かに、里居にはそういう男性的なものが似合うかもしれない。

だが―――

 

「たまには、スカートとか穿いてみたらどうだ?

 

俺は、適当にスカートを選んで手渡す。

 

「―――動きにくい。」

 

「制服はスカートだろ?

 

「―――むう。」

 

むむむむむ、と右手のジーンズと左手のスカートを交互に見る。

 

「―――蘭は、スカートを穿いた女子の方が良い?

 

「もちろん。」

 

そりゃあ、大多数の男性はスカート万歳なんだよ。

ついでに言えば、ミニスカートのほうが好ましい。

だが、短いにも限度があって、見えそうで見えないというギリギリの―――

 

「―――てい。」

 

「ぅぁぁッ!!

 

強烈なデコピンを食らって、悶絶する。

痛い。洒落にならないくらいに痛い。

古めかしく言うと、いといたひ

 

「……いや、それは違うだろ。」

 

他の人から奇異の視線を向けられたので立ち上がる。

 

「兎も角、穿いてみないことには何も分からないだろ。」

 

「―――そうだね、穿いてくる。」

 

そう言い残して試着室のカーテンを閉める、刹那。

 

「―――蘭、一緒に入る?

 

……………。

 

「……っ。入るか、馬鹿。」

 

「―――残念。」

 

……俺も、残念。

 

 

 

 

 

―――って、何が残念だよ。俺の馬鹿!!

里居が試着室から姿を見せるまで、俺は独りで百面相をしていた。

 

 

 

 

 

「―――どう、かな?

 

「――――――――。」

 

絶句。そういやコイツは、美少女に分類されるべき人間だったっけ。

多分初めてであろう、里居の私服ミニスカート。

 

「よし、買おう。そして、着ろ。」

 

「―――む、まだ買う服がある。」

 

そっか。じゃあ好きにしろ、と里居を促すと―――

 

「お、お客様っ。宜しければ私に選ばせていただけませんか?

 

振り返ると、店員がいた。

里居は現在、試着室で制服に着替えている最中だ。

そっか、俺を一人だと思ったのか。

 

「はい、お願いします。」

 

まだ、この店の安物を何着か買うくらいの金なら財布にある。

それなら、この若い―――多分、バイトだろう―――店員に任せるのも良い。

 

「そ、それではこれをどうぞ。」

 

「………。」

 

手渡されたのは、ゴスロリ衣装。

 

「…………。」

 

これは……嫌がらせか?

俺は、さりげなく店員の視線を俺の制服へ向ける。

即ち―――ズボン。それは、男子生徒の証明。

 

「きっと、に、似合いますから!

 

両拳を握って言う事でもないだろうに…。

店員は、俺の無言のメッセージに気付かない。

 

「いやいや。俺、男ですよ?

 

「またまたご冗談を。」

 

朗らかに笑う店員さん。

 

「制服見れば、男って、分かるでしょう?

 

「またまたご冗談を。」

 

…思考回路が分からん。

盲目的に自分の認識を信じる人物のようだ。

……全く、タチが悪い。

 

「―――蘭、着ろ。」

 

拒否を許さない声が背後から。

振り返ると、里居が制服に着替えていた。

 

「さあさあ。」

 

「―――さあさあ。」

 

俺が上げる苦悶の声も制止にはならない。

女二人は、俺を拘束して強引に試着させる。

 

「―――全く。」

 

で、何で俺はゴスロリ衣装を手に持って試着室にいるのか。

だが、俺にどんな抵抗が出来るだろうか?

 

「―――最悪だ。」

 

呟いて、俺は試着室から脱出する。

待て、と脱出を阻む障害を振り切る。

 

「はあ。」

 

疲れた。一息ついて、俺は家に帰る。

里居の事だ。スカートを買うにしても、買わないにしても。

今日は俺に会わないだろう。俺は独り、俺は一人。

独りで帰宅する。

 

「……晩飯は、何にしよう。」

 

 

 

 

 

一年に一日だけ帰ってくる父親。
一年に一日だけ家へ来ない友人。
一年に一日も会話をしない幼馴染み。

その三人と俺の日常を構成していくことだろう。
これまでも…多分、これからも。





――――
それは、素晴らしい、夢の断片。

本当に、俺は、そうなると、願っていた。



だが、俺は、真実に目を向けた。



―――
変わらないモノなんて、無いから、日常というモノは無い。



日常は、真実から最も遠い位置で、それはすぐに崩れるのだから、



―――
だから、俺は望みを叶えてやる。
―――
だから、俺はそれまで生きる。
―――
だから、まだ崩さないし、壊さない。



そう、“俺”に誓った。

 

 

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