―――季節は12月。

駅前の商店街はクリスマスムード一色。

学校は期末試験……というよりも、

長い、本当に長い2学期からの開放感で緩みまくりだ。

 

 

そんな中、俺は―――

 

 

俺は、このクソ寒い季節を呪いつつも、何とか生きている。

冬は、あまり好きでは無い。唇が乾燥して痛いからだ。

乾燥するのは唇だけでは無い、手先も乾燥する。

つまり、ビニール袋の口が開けにくい。

あと、口内炎に鍋料理のポン酢が沁みて痛い。

まあ、どうでも良い愚痴はここまでだ。

さて―――現在の時刻は午前634分。

 

……ムサシッ!!

 

どうでも良い事を思いついたので、包丁二刀流。

タンタン、と軽快にまな板を叩く。

……その上には食材が無い。ただのノリだ。

 

―――お。」

 

ふと我に返ると、魚の切り身が焼きあがっていた。

うん、やはり日本人の朝はご飯と魚に味噌汁だろ。

昨晩の残りである味噌汁も良い感じに温まっている。

火を止めてから台所を出る。

 

そんな中、俺は―――主夫だった。

 

 

 

 

 

―――――――雪あらし―――――――

 

 

 

 

 

「喜美恵さん、飯だ。」

 

女性の部屋に入る時にノックを忘れてはならない。

それは、男として当然の行動だろう。

もし、女性の着替え中に部屋へ入ろうものなら、

 

…………

 

…………あの、ごめんなさい。』

 

とか何とかお約束のシチュエーションが出てくるかもしれない。

まあ、それは兎も角。

喜美恵さんの部屋の前にいること数秒。

ガチャリ、とドアが開く。

中から出てくるのは向田 喜美恵。

その額には、『ねむぃ』とはっきり書いてある。

―――比喩では無く、水性マジックで書いてある。

 

「そう言う訳で。」

 

バタリ、と閉められるドア。

恐らく、二度寝をするのだろう。

 

―――ッ、自堕落な。」

 

少し呆れてから、ドアを開ける。

 

「ウォァッ―――な、なんじゃこりゃあ!?

 

ドアを開けると、そこはどこぞの不思議な国よろしく、混沌世界だった。

床には通販で買ったと言っていた健康器具。

そのどれもが、例外なく壊れている―――

きっと、彼女の身体能力に合わなかったのだろう。

 

そして、ぬいぐるみ。

一昔前に流行った垂れ目のぱんだ。

そして、最近―――というのは200712って、あれ?その時には既に結構―――

流行っている、リラックスできそうな熊。

どれも大きくて、抱き心地が良さそうだ。

 

 

―――ちゃぶ台。

ノートパソコンが1台。その脇には携帯が充電されている。

 

……ベッド脇。

―――柿ピーの袋が散乱している。

あと、缶ビールも。そりゃあ、この人が酒好きなのは知っているが、

少しは自重しろよ……

 

「とりあえず、遅刻するぞ?したいのか?

 

……頭、痛い。」

 

―――味噌汁、持ってこようか?

 

二日酔いには味噌汁。

これは我が家の常識だ。

 

―――吐きそう。」

 

「ビニール袋、持ってくるわ。」

 

顔色から見ると、相当ヤバそうだ。

無理に起こしたら、マジでリバースするかもしれないので、

とりあえずは報知スーツ。

台所からビニール袋と濡れタオルを取り出した時、

 

ピリリ、と固定電話が鳴った。

 

……。」

 

しばし思考をして喜美恵さんの容態と固定電話を天秤に掛けるが、

あちらは自業自得なのだから、と電話の受話器を手に取った。

 

「はい、藍原です。」

 

まったく、こんな朝っぱらから誰だよ。

との苛立ちは出来るだけ声に出さずに対応する。

 

……はい、そうですか。では、伝えておきます。

はい―――はい。」

 

こんな時、相手の言葉の端から相槌をうつのも面倒だと思ってしまう。

思ってしまうが―――その内容は俺にとって重要なものであり、

また、嬉々として聞くべき事であった。

 

「分かりました、それでは失礼します。」

 

受話器を静かに置き、弾む足取りで玄関を開ける。

 

「イヤッホ―――って、寒っ!こんなん、凍え死ぬわっ!

 

つい、口調が関西弁じみたものになってしまう。

外は、この界隈では珍しくも大雪。

それを見て、今日のランニングは中止にしたのだが、学校も中止なのだ。

―――うん、冬は大好きだ。

 

「あ、そうだ。喜美恵さん。」

 

ふと、思い出したから迅速に行動。

置いてあったタオルとビニール袋を手に、部屋へと向かう。

 

……あれ、いない?

 

見ると、ベッドからいなくなっていた。

―――二日酔い+ベッドからの消失=……レストルームッ!?

 

「ちゃんと、正しいところへリバースしててくれよッ!

 

縋る思いとともに、二階のトイレを覗き込む―――あれ、いない。

一体どこに……と思ってた俺の耳へ、家の外からはしゃぎ声だ聞こえてきた。

 

「学校休みだ――――――ワッショーイッ!!

 

――――――ぅぁ。」

 

絶句。そして、大きい罪悪感―――何故なら、

 

―――教師は通勤しろってさ。」

 

寒いのを我慢し、玄関を出て、そう告げる。

教師というのは大変な仕事だ、本当に。

 

―――さて、朝ごはん食べよぅ。」

 

……急に静まったが、それでも現実的な行動をするこの人が、嫌いでは無い。

 

「とりあえず、これでその『ねむぃ』って字を消すこと。

で、ちゃんと顔洗うこと、オーケー?

 

「オーケー。」

 

家の中では、基本的に俺が保護者だ。

それは、年齢的な問題じゃ無く、性別的な問題。

つまり、男は俺。だから女性は守る―――分かりやすいだろ?

 

……その実、その行動のせいで向田喜美恵にはと認識されているのには、

気付くはずもない、藍原少年であった。

 

「あと抱きつかないこと―――……お腹空いてるだろ?

 

重いんだよ、という言葉を辛うじて押し込む。

そんな事を言った日には、明日の朝日を拝めないだろう。

 

少し冷めかけていた朝食を一緒に取り、喜美恵さんを見送る。

 

廊下    

………げ、ここまで冷気がきてる。」

 

「行ってらっしゃい。

あぁ出来れば玄関のドアは素早く閉めてくれ。」

 

寒いから、と付け足す俺。

なんだ、案外冷たい奴なのか?…いや、正常だ。

 

「行ってらっしゃいのキスが欲しい。」

 

――――――?

 

……欲しい」

 

「いやいや……早く行ってくれ。」

 

履いていた靴を脱ぎ、俺に近寄って来る向田喜美恵。

その目が、かなり危険なので俺のブレインはボディに後退を命じる。

それを阻止するかのように、さらに接近してくる美貌の女性。

 

や、 やめ      

「ん、んん〜〜〜〜。」

 

じたばた、ジタバタ。ぱたぱた―――

 

ん、 後ろ     後ろ              

「んっ、んんん、んんん――――――!!!

 

―――バタバタバタ!!どたどた。

 

「んん?」

 

いつの間にか開いている我が家の玄関。

そこから顔を出しているのは、俺がよく知っている人物で―――

 

何なの

「んんんん?

 

―――。」

 

その人物はポカン、と口をあけていた。

……いや、マジでやばいから。もうやめて―――

―――というか、息が!息が出来ない!!

 

「ふぅ、ご馳走さま。行ってきます。」

 

―――ぅぁ、ぅぁ。」

 

「あれ、何でいるの……?

 

――――――。」

 

………。」

 

両者、少しの間―――沈黙。

その微妙な沈黙に耐えきれ無かったのか、

俺が自分でも知らずに、声を漏らす。

 

「ぅぁ。」

 

その瞬間、第一声をあげたのは里居美恵。

いつもの無表情ではなく、顔を真っ赤にしている。

多分、俺も里居と同じように真っ赤なのだろう。何となく分かる。

 

――――――蘭っ!!

 

幼子を叱りつけるような声。

向田喜美恵を完全に無視して家にあがると、

そのまま俺の前へと歩を進めてくる。

 

―――今の、何?

 

黙秘権行使を許さない、威圧感を込めた質問。

俺は、僅かな願いを込めて喜美恵さんへと視線を送る。

 

「って、いねぇ―――――!?

 

ここまでややこしい事をしておいて、エスケープ!?

どうする、どうしたら良い。思考しろ、切り拓け。

お前は天才なのだろう―――悪魔なのだろう!?

……ごめん、俺。ぶっちゃけ、無理だ。

 

―――?

 

「ぅ、ぁ。その……。」

 

―――もう一度無理だと言う、俺がヘタレという訳では無い。

単に、無理なモノは無理だということだ。

神様だって、人を思いのままに操ることは無理なんだもん。

 

―――その……?

 

俺はアハハ、とぎこちなく笑ってから答えた。

 

「行ってらっしゃい、のキス?

 

……俺、ヤバい。

何がヤバいって里居の足元の床が陥没しているところとか…?

 

―――へぇ。」

 

勢いよく俺の顔の横に右手をつく。

里居の顔を向きつつもそれを認識した……のが不幸だった。

壁に手形がついてるよ、オイ。

 

―――で、誰にしたの?それ。」

 

……喜美恵さん。」

 

――――――!!

 

「ぅぉっ!!

 

答えた刹那―――里居の左腕が襲いかかってきた。

それを潜り込むように躱して、距離をとる。

 

「お、お前。それは洒落にならないぞ?

 

里居の左腕は、家の壁を破壊していた。

…………いや、マジで洒落にならない。

 

―――そう云えば、蘭と本気で喧嘩したのは一回しか無かったね。」

 

――――――あぶなっ!

 

左腕から投げられる木片。

それは、破壊した壁の一部。

全く、コイツは人の家を勝手に壊して―――!

 

「ハ―――!

 

右脚でのハイキックが迫る。

……スカートじゃないのが惜しい、と思いつつ伏せて躱して―――

 

――――――ッッ!!

 

里居の蹴りが頭上を通過するのを待たずに、

一本だけになっている軸足を払おうと―――いや、拙い!!

 

「こ―――のっ!

 

咄嗟に、足払いの体勢から横へと転がりこんだ瞬間。

轟、とその場の大気が斬り裂かれるような音を聞いた。

 

「相変わらず―――エグい動きしやがる。」

 

「それは、お互いさま―――今のを躱すとか、有り得ない。」

 

里居のハイキック。それは俺が下に躱すことを計算されていたのか、

蹴りの途中で、軌道を下へと変えられた。

真にヤバいのは、そんな事を可能にして、

さらにそんな事をして、尚も床下を蹴破ることが出来る運動能力だろう。

 

……話せば分かる!!

 

兎にも角にも、そんな奴と喧嘩するのは上策では無いし、

相手が女性である以上、手を上げるのも拙い。

―――さっきは、足を蹴ろうとしたが……

まあ、それはそれ、これはこれ、だ。

 

―――分かってるよ。蘭は、向田喜美恵とキスをした。」

 

握られた拳から、致死の気配を感じる。

いやいや、まだ死にたく無いんですけど―――!!

 

……それの何が悪い?

 

――――――潰す。」

 

「逆効果――――!?

 

くそ、開き直れば何とかなると思ったんだが、

……それがかなりの逆効果だったっぽい。

里居から発せられる威圧感は、

それだけで常人ならば失神してしまうほどにまで膨れ上がる。

そして、大砲か爆撃か、という程の力を篭めた一撃が放たれようとした刹那。

 

「蘭、雪合戦しようぜ…………帰る。」

 

空気を読めない男。いや、むしろ読んだのだろうか。

ガチャリと玄関を開けて顔だけ出した健太は、

その異様を見た瞬間に踵を返した。

 

―――はぁ。」

 

―――溜息。興が削がれたと、云わんばかりだった。

里居は拳を緩めると、俺に言う。

 

―――雪合戦、する?

 

……助かった。

どうやら俺は生き延びることが出来たらしい。

―――で、雪合戦は良いのだが、その前に。

 

「家、補修してからな。」

 

お前、ここを誰の家だと思ってんだよ、と続ける。

里居はそれについては謝りもせずに、補修を始めた。

―――そして、補修中。

『蘭が悪い』と俺に聞こえるようにずっと囁いていた。

 

 

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